サン・ファン・バウティスタ号

今が好き♪

1998.6.1

江戸時代初期、仙台藩主伊達正宗が建造した慶長遣欧使節船。スペイン人造船技師の指導のもと、藩周辺や北上山地の木材で造られた国産の大型洋式帆船です。船名は聖ヨハネの意。1613年(慶長18年)10月、支倉常長(はせくらつねなが、1577~1622)団長ら180余名を乗せ、石巻から遥かローマへと出航しました。仙台領内でのキリスト教宣教師の受入と交換に、スペイン領であったメキシコとの通商ルートを開拓することが目的で、ローマ法王の許可が必要でした。常長はヴァチカン宮殿で時の法王パウロ5世と謁見しますが、通商交渉は不成功に終わり、旅費の欠乏からサ号を売却、別の船で1620年9月、失意のうちに帰国します。

この木造帆船が宮城県、石巻市など自治体、地元市民、民間企業の協力で1993年に復元されました。船大工の棟梁は当時85歳、この道70年の村上定一郎さん。用材集めもさることながら、人材集めも難航。棟梁自ら、すでに現役をのいた仲間を口説いての要員集め、37名の船大工さんが建造にあたりました。当然高齢者ばかり、そのうえ漁船が専門、帆船は初めてですから、その苦労は想像に難くありません。

全長55m、幅11m、高さ48m、重量500tの巨大さ。こうして、3本マスト、高い船尾楼を持つ美しい帆船が、380年の時を越えて甦りました。我が国では今世紀最大、最後の木造帆船と言ってよいでしょう。かつての母港、石巻漁港で見る事ができます。

ところが、この帆船には重大な誤算がありました。あまりにも忠実に復元されたあまり、今日の船舶基準に合致せず、また消防法上の問題もあって船籍が取得できなかったことです。これは自力航行が許可されないことを意味します。このため、航海はタグボートに曳航されて行うという不自由な身。これではいかだ同然。建造にたずさわった者ならずとも帆走する勇姿を是非見たいものです。そこで提案ですが、日本の領海外まで曳航して、国外で帆走させる、というのは出来ない相談なのでしょうか。