キティ台風

今が好き♪

1998.10.1

今年の夏は、異常でした。夏と云うより雨季で、その上例年6月までに4、5個発生する台風が、7月9日にやっと1号、遅さの新記録を作りました。9月にはいくらか量産されましたが、それでも末の時点で9号という少なさです。年平均発生数は27.8個と言うことですが今年は二桁がやっとの様子。こちらも少なさの新記録になりそうです。

さて、台風はもともと年初から発生順に番号で呼ぶ習わしでしたが、戦後の一時期、占領軍の台風警報センターがつけた女性名で呼んでいた時期がありました。表題の台風は昭和24年8月31日夕から関東地方、上越山岳部を襲った台風です。私が住んでいた東京の下町、江東区の葛西橋付近はゼロメートル地帯と言われ、毎年頻繁に床下浸水に会いましたが、この晩は荒川に通ずる運河が決壊し、大洪水にみまわれました。夜9時半頃、突然、寝ていた床が突き上げられ、畳と畳の間から滝のような噴水です。なにもする暇がありません。2才の妹を末に、4人の子どもと両親は文字どうり着の身着のまま、溢れかえる水の中を夢中で屋根に逃れました。

一帯は戦後の急造住宅地で、ほとんどが平屋、軒下にコンクリートと木の蓋でできたごみ箱があってこれを足場にしたのです。最後に父が屋根に登った時は、既に軒先で水が波打っていました。程なく、雨も風もおさまりましたが、一家は黒々とした水に囲まれ、抱き合って一夜を過ごしました。翌日は眩しい晴天、近所の大人たちは水深2mを越す道路上を泳いで、お互いの無事を確認し合いました。

上陸時刻と東京湾の満潮が重なり、豪雨と高潮で、関東地方を中心に死者不明160人、負傷者479人、全壊戸数3000戸、半壊1万3000戸、浸水家屋14万戸、沈没・損壊船舶2800隻という大惨事を引き起こした大型台風だったのです。

この台風で家財のほとんどを失いましたが、ただ一つ良かったことがありました。水が引くまでの間、夏休みが更に1ケ月間延長されたことです。
当時、わたしは小学1年生。忘れられない夏の大事件でした。