ミュンヘン

今が好き♪

1999.12.1

この10月、10日間、欧州4ヶ国を巡る見学研修会に参加しました。ヨーロッパは初めての訪問です。ジュネーブで開かれたTELECOM99を見るのが主目的でしたが、スイスの他に、独ミュンヘン、伊ミラノ、仏パリとまわりました。各国1都市、それぞれ2泊で移動、4都市とも情報産業関連企業の見学と観光のセットというハードスケジュールです。

フランクフルトトランスファーで最初の都市ミュンヘンへ夕刻到着。あいにくの小雨模様で、現地ガイドによればあすあさっても雨とおどかされましたが、翌日午前中がくもりであったのを除いて、結果的に以後全行程快晴。モンブラン観光では年に数日というほどの上天気にめぐまれました。

さて、ミュンヘン。街の中央を流れるイザール川近くのシティヒルトンが宿。ホテル前の歩道は石畳の道とコンクリート舗装された道が並行しています。石畳が人、車道側の舗装路が自転車用です。足元を見ないとどちらか分かりませんから、うっかり車道寄りを歩いて、後ろからずいぶんベルを鳴らされました。街なかでも歩道が舗装状態の違い、あるいは白線で2分され、自転車利用者の便宜が図られていました。市内は例の中世様式で、建物の高さがほぼ同じ、作りも統一され、整然としたいかにもドイツ人好みの街といった印象です。
また数ある公園の整備も進んでおり、公園都市を標榜しているとのこと。公園で犬と散歩。どこの国でも共通ですが、ここではほとんどの犬がマナー学校の卒業生ということです。しつけをしっかりしてから飼うという律義な習慣が根づいているのでしょう。犬に引っ張られて散歩させられている人はいませんでした。
ミュンヘンでは仕掛け時計で知られるマリエン広場の新市庁舎(新とは言え100年ほど前のゴシック建築)、ちょうど夕刻5時、からくり人形のパフォーマンスが始まる時間で、観光客とお上りさん、当地の買い物客でごった返しでした。それとオペラ座など広場周辺の市一番の繁華街を歩いたのみ、他にバイエルン候の別荘ニンフェンブルク宮殿、オリンピック広場をまわったぐらいの駆け足観光。アッ、夜は巨大ビヤホール「ホフブロイハウス」でビールとソーセージ、ヨーデルとカウベル演奏を堪能しました。

ミュンヘンの北140Kmほどの町、レーゲンスブルクに見学先である東芝のパソコン工場があります。一行16名、バスで移動です。アウトバーンを飛ばして、といっても主要都市の周辺は速度無制限というわけではなく、時速120あるいは130Kmの道路標識がありました。米国のフリーウェイと同じで無料です。EU統一後は周辺諸国の車が無料をよい事に、通過するのみで利用するのが悩みとかで、有料化も話題になるそうですが、そのたびにドイツ人のプライドが勝り、なかなか実現しないとのことです。無料のうちに是非ハンドルを握って、走ってみたいものです。もちろん、速度リミッター無しの車で‥‥。
途中は平野部で時々集落を通過、尖塔を持った教会が必ずあって遠くからでも目立ちます。また、ビールのにがみの素、ホップ畑が道路の両側に連なり、収穫が終わった後で、日本の葡萄だなのような空のホップだなが続きます。つる性植物の栽培方法は同じですがこちらの棚は高さが3メートル以上ありそうでした。どうやって収穫するのでしょう。
2時間ほどで郊外の工業団地に着きました。日本人スタッフ4名の経営で500名ほどのドイツ人従業員を運営管理しています。12ヶ国語対応、キーボードの刻字・配列の違い、OSの選択など出荷先に応じて1600型番もパソコンのバラエティがあると言うから大変です。ここまでくるのに約10年だそうです。

このレーゲンスブルク(独語で雨の城塞の意)、失礼ながらドイツの片田舎と思いきや、どうしてどうして、人口12万6千、城壁とドナウ川にかこまれた中世の城塞都市(ブルク)そのもの。アーチ型の城壁門をくぐって市街へ、なんと自動車が無ければ、一瞬にして中世の街へタイムスリップです。昨夜の雨でよけいに落ち着いた風情、豊かに流れる河。すべて当時のままではないかと思われる風格ある建物、十字軍が行進して来そうな町並み(実際、第2回と第3回十字軍はここに集結してエルサレムに出陣した)。少年合唱団で有名という大聖堂、石畳、坂の路地。なぜか私たち東洋人にしても郷愁をさそうたたずまい。現代に生きているゲルマン民族の文化に脱帽です。歴史の重さ深さは触れてみなければ解からないということでしょうか。ロマンチック街道にはこうした都市が続いているそうです。ほんのさわりを見たにすぎないのにこうですから、やはり見ると聞くとは大違いでした。