家紋

柿崎 純一郎

2005.6.8

 

わが家の「家紋」は丸に七曜(丸で囲まれた7つの円)である。父の実家には家紋入りの什器などがあったが、こと筆者に関しては紋入りの所有物は皆無で、日常生活ではまったく家紋に無縁だ。

 昔から、わが一族はその出自を越後上杉家の家臣、柿崎和泉守景家に発すると勝手に思っている。NHKのドラマ、上杉鷹山でも家臣として柿崎一族の活躍が描かれていた。柿崎姓はこの鷹山の居城があった山形県米沢市をメジャーとし、長野県屋代(千曲市)、それにわが家系の山形県新庄市周辺の3ヶ所に集中しているが、発祥の地、越後柿崎(新潟県柿崎町)には残っていない。新庄一派は米沢からの分派である。この姓はどこに住んでいようと9割方が上の米沢か新庄、あるいは屋代の出身者であると思って間違いが無い。
 ところで、亜流の屋代柿崎は三つ葉大根紋で問題外としても、米沢柿崎の家紋が九曜紋となっている。真ん中の大きい円を8つの円が囲んでいる紋で、新庄柿崎紋より円の数が2つ多い。デザイン上は同系列ではあるが、我々が直系の子孫でないのは明らか。苗字と出身地は符合するので米沢一族の末裔であるとは思うのだが‥‥。

 

家紋は平安中期の公家社会から始まり、戦国時代に敵味方識別マークとして普及したもの。以来、武家階級を中心に世襲で代々受け継がれてきたが、明治初期に家紋の取得が一般にも許され、苗字同様、爆発的に種類が増加した。現在では一万種ほどあるといわれているが正確には不明。親から世襲と言っても、今では、核家族化の広まりで自分の家紋がわからないと言う家庭も多いはず。もっとも、日本の家紋は英国のように紋章院によって厳密に管理されているのとは大違いで、何の法規制も制約も無いから心配は無用。自分の代から自由に選び、あるいは創作して使うことが出来る。もちろんどこへも届け出の必要がない。政府は天皇家の菊紋を我が国の国章として使用しているが、これとて法的な裏付けは何も無いのである。

 将来、文化勲章かノーベル賞を受賞する機会があったら、本家正統の九曜紋を染め抜いた羽織はかまをオーダーして、授賞式に臨もうと決めている。