イチロー、シアトル、無銭飲食の思い出

中野 章

2001.5.24

 

最近イチロー、シアトル・マリナーズ、の文字が新聞紙上に躍らぬ日はなく、テレビでも連日のごとくシアトルマリナーズ対どこどことアメリカ大リーグの試合の実況放送をしている。そして日本人期待のイチローが期待以上の大活躍ぶりである。大魔神 佐々木も去年以上の活躍である。
 おかげでプロ野球ファンの目がメジャーリーグに向き、はたまた某某有力選手らのメジャー指向が噂されるに及んで日本プロ野球関係者をヤキモキさせているとかいないとか。
 そんなシアトル、シアトルの文字や言葉を目にし、耳に聞く今日この頃、私の記憶の襞に深く埋もれていたある思い出が蘇えった。
 それは40年前のことである。長期出張先のシカゴからシアトル経由での帰国便が延着し、シアトルに一泊を余儀なくされた。長期出張の後だけに帰心矢の如しの反面、この際シアトルってどんなところか見てみようとの好奇心もあった。
 一時旅装を解き、ホテルから街に出てみた。ある通りをブラブラ歩いていると、明らかに日本名と思われる食堂(Tavern)が目に付いた。そう、この街は戦前から日系人がロスアンジェルスやサンフランシスコ同様多いところである。

 

機内食やホテルのアメ飯にも飽いていたところでもあり、これ幸いと飛び込んだ。何を注文したかもはや覚えていないが、店の主人とおかみさんと話をしていると、其の訛りが私の郷里の訛りに大変近いのである。
 聞いてみると、やはりお2人のご両親がそれぞれ山口県と広島県出身とのことである。そんなこともあって親近感を持ちながら食事を終えた。
 そして、いざ勘定を払おうとすると、「まあー、えーから、ドルは持って帰えりんさい」と云う。頑として受け取ってくれない。
 貴重なドルだから日本に持って帰れと言うわけである。当時公定レートが1ドル360円、実勢500円以上の時代である。若者の金のないのは洋の東西を問わないと思ったのであろう。事実そうであったが。
 そんなわけで好意に甘え結果として無銭飲食に相成ったしだいである。
 通りの名前は確かユニオン・ストリート、海が近いと記憶しているが、ご夫婦は健在か、店は今もあるのかしら、機会があればこのストリートをもう一度あるいてみたいと思う今日この頃である。
 古き佳き思い出を蘇えらせてくれたイチローに感謝。