卒業できたらお嫁にやろか?

中野 章

2003.2.12

これからの大学についての大暴論

その昔 「学士様ならお嫁に上げよか」といわれた時代があった。平成の今日 人ごみの中で石を投げれば二人に一人は石に当たる時代である。それだけ学士様のかっての稀少価値は無くなったわけである。大学全入時代といわれる今日であるが、依然として難関校といわれる大学があり、一方で受験もしないのに入学許可書が送られてきた?と冗談半分に揶揄される大学もある。いずれにしても入学すれば「ご入学おめでとう」と祝福される。特に有名難関大学に合格すれば祝福の言葉も真意がこもるだろう。
 だが待てよと私は考える。折角難関を突破したものの、自分の勉強したい学科や大学を自分で選んだのだろうか?
 そうでない学生も結構いるはずである。曰く「就職がよい」「家から通える」「ここなら入れそうだ」『親に勧められて」云々。

一概に悪いとも云えないだろう。今も昔も18歳の少年少女で自分のやりたいこと、進みたいことをはっきりと掴んでいない子も多いと思う。
 偏差値や親の意思、家庭の事情や教師の薦めが進路決定の大きい要因であろう。
 問題は入学後ある期間たった後、普通一年後ぐらいと想像するのだが、自分のやりたいこと、進みたいことと大学・学科の選択のミス・マッチングに悩む学生が出てくることである。
 当然悩み勉学の意欲は無くなる。このようなミス・マッチングを少しでも減らすにはどうすればよいか?
 また起きてしまったミス・マッチの学生をいかに救い上げるか?

暴論を承知で私の考えを述べたい。

●入学試験のあり方:「何故この大学・学科を選んだか?」の設問(小論文や面接で)で志願者の選択のマッチング度をはかり、これに合否のウエートを大きくかける。当然教官の負担は大きくなるだろう。

●ミス・マッチの学生の救済:進路をもう一度考えさせ、他大学に転入させる。或は今ある他大学との単位互換制をを大幅に拡大し、選んだ学科の総単位数で卒業できるようにする。卒論の教官は他大学の教官でも良いではないか?
 理工系大学卒業で法学士がいても良いと思う。
「すきこそ物の上手なれ」で、何が好きか、何がやりたいかを早く発見することが大切ではないか。
 いやいや無気力に学生生活をおくり、中途退学するか、辛うじて卒業し、大学のコースと関係ない分野に就職するとすれば大学の何年かは何だったのだろう。

●インターンシップをもっと活用:インターンシップをもっと活用し、この体験でマッチングに問題ない学生はますます自分の進路や好きな仕事の方向を見出す機会にして欲しいし、進路や好きな仕事の方向と受講している、或は選択する学科目との関連が見出されれば大変結構である。
 それには現行のインターシップ期間は短すぎるように思える。せめて2ヶ月かけていろんな職場を経験すべきだと思う。受け入れ側の企業も負担が増えるが。

今大学も法人化が目前にせまり大きく変貌せざるを得ない。自立した経営体として財務体力のようなものが問われるのではなかろうか?

これから益々暴論であるが、こんな風に考える。
 この大学、学科が好きで将来この道に進みたい受験生は少々入試の点数が悪くても入学させる。入学金・授業料の収入増を図る。
 ただし入学後は高いハードルを設け、どんどん留年させる。なにも4年で卒業させなくて良い。留年学生が多ければそれだけ授業料の収入増が図れる。
 学生は社会から高く評価される学力と人格をもった学生だけ卒業させる。
 「良くあの大学を卒業できたね。本当におめでとう」
 「卒業できたらお嫁にやろか?」と言われることが、これからの大学のステータスではなかろうか?