カンニングもWEB2.0時代に

中野 章

2007.2.20

2月13日朝日新聞夕刊で明治学院大学の稲葉先生のコラムを読んで WEB 時代はここまで来たかと、いささか時代遅れかもしれない感慨を抱いた。以下稲葉先生のコラムの一部を引用する。

「パソコンとネットの普及に伴う、リポート、卒論における盗作の安易化は、大学教師の頭痛の種だ。もちろんこの手の盗作・代作は今に始まった事ではないし、ごく少数ながらプロも存在していたが、いまや堂々とネット上で店開きをしている。

ところがインターネットの普及下、 Google に代表される高度な検索技術が出現して以降の、いわゆる WEB2.0 状況においては、問題は新たな局面を迎えた。

(中略)かっては盗作においても書き写す手間だけは省けなかったが、いまや瞬時にデータをコピーすることが可能になり、盗作者の労力は劇的に削減された。そしてWEB 2.0

である。盗作のネタ探しの労力も劇的に減った。他人の文章・データをコピー・ペースト、略してコピペのレポートがかくして量産される。

もう一つ重要なファクターがある。かって学生による盗作の元ネタは、圧倒的にプロの出版された著作であり、まる写しは、プロである大学教師にあっさり見破られた。教師はプロの論文とおぼしきレポートと出会うが、そうゆうものはたとえ元の論文を読んでいなくとも、かなりの確率で見破れる。悲しいことに学生の論文が「出来すぎている」と思った時、我々は元ネタをGoogleで検索する習性を身につけつつある。

 

ところがいまやプロならぬ学生や普通の人人が自分の論文やエッセイをホームページに載せる時代である。そして今やプロらしからぬ稚拙なレポート・論文を集め利用しやすくサイトまで出てきた。(中略)そして興味深いのは質の低い論文・レポートにも相応の需要が存在することである」

このコラムを読んで外国の大学で教師をしている娘がしてくれたある話を思い出した。

  ある試験の出来事である。そっくり同じの答案が出てきた。教師である娘から見ると明らかにカンニングした学生(あまり授業に出ていない)とカンニングさせた学生(良く出来る)は一目瞭然である。当然カンニングした方の学生には零点を与えた。話はこれからである。カンニング学生が抗議してきた。曰わく「彼(カンニングさせた学生)とそっくり同じ答案なのに彼は合格点で何故僕は零点ですか?」娘は返事のしようがなかったそうである。一瞬の間をおいてハットと気づいたカンニング学生は「済みません」と云ってすごすごと引き上げたそうである。この話からすると昨今のWEB時代のカンニングはする方=利用者と、させる方=供給者のお互いが見知らぬ同士で金銭の遣り取りのみがあり、なにかそこに空漠たるものを感じるのである。友人同士のカンニングは人間味があってまだしも救いがあると思うのは、ウン十年前のできの悪い学生だった私だけだろうか?