流人の島八丈島に遊ぶ

中野 章

2007.3.10

初春の一日、経友会の仲間と八丈島に遊んだ。
八丈島といえば戦国末期から江戸時代、明治ひと桁期までの流刑地であったことはよく知られている。現在は一日4便の全日空機が飛んでいる観光地である。飛行時間は約40分であっという間に到着する。箱根・伊豆の観光地に行くよりも早い。そんな島にたどり着いた一行7名はレンタカーを借りて島内ドライブにでかけた。島の面積は東京山手線内側ぐらいとのことで島を一周するにはせいぜい3時間ぐらいか。島の人口は8千人ぐらいで車の通行も少なくスイスイである。島内の観光名所、旧跡は数々あれど、やはり流人に関するものが多いが、案内書やパンフレットで紹介され尽くしているので、一つ一つ取り上げる気にはならないが、いささか感興を覚えたものだけを記しておきたい。

1)八丈島の地熱を利用した発電所は島内の電力需要の30%を賄っているそうである。もともと火山島なので地中奥深くは煮えたぎっており、地熱量には事欠かないが、取り出すためには地殻構造に一定の要件があるそうで、この場所はそれを満たしているという事を係のお嬢さん?が誇らしげに説明してくれた。発電所の一部である風力発電用の大風車は高さ65米、ローター直径40米の偉容を誇っているが残念ながら目下故障中とのことで説明嬢は今度は申し訳なさそうな顔をした。

2)黄八丈染め元に入りお土産を物色するが、なにせ黄八丈は高いので有名である。染め上げるのに半年もかけるそうで高いのもしょうがないかと納得する。結局一番安い小銭入れを¥2000でゲット。気は心だと貰う側の言い分を唱えて安物買いを正当化する。

 

3)玉石垣はドライブのあちこちで見られた。これらの石は長い年月がかかって波浪にもてあそばれて摩耗し丸くなったものである。流人達が海岸から運んで石組みをしたとのことで、その事実を知れば独特の景観もなにやら哀れを催す。

4)ふれあい牧場は八丈富士の裾野に広がった牧場で、あちこちに牛がのんびりと寝そべっている。ただ悲しい風景は風力発電機の風車(フランス製)の4基が無惨にも羽が千切れ悄然として立っていたことである。どうやら耐風力の設計ミスのようである。牧場の電力の一部を賄う目的で設置されたようだが、見学者に風力発電に悪印象を与え、このために折角のエコ思想に水を差さなければよいがと思う。

5)歴史民俗資料館は流人の歴史に興味があれば見逃せない。流人の歴史のみならず島の自然、生活、産業等全般にわたっての資料、展示物が並べられている。建物はかっての村役場とのことで外観はまさに古色蒼然たるものであり、歴史民俗資料館の名前に相応しい。目玉はやはり流人関係で流人第一号の宇喜多秀家から明治初期までに1800人が流された。その歴史事実が絵巻物風に展示してあり理解を助けてくれた。

6)宇喜多秀家と妻豪姫の碑は大潟浦海水浴場にある。秀家の故地岡山に向かって相並んで端座している。この地に83才で没するまでの50年間を過ごした秀家は故郷に向かって何を思ったか。

(注:経友会 電通大OBの中小企業経営者のグループで今回参加者はS26戸矢崎哲、29B中野章、30R上原佑一、36JT山本進、39JT真藤峰、41B野見山紘一、44JE山森信生)