リーダーシップ

角田 稔

2006.2.1

昨秋の総選挙ではリーダーシップという言葉が飛び交った。使用されている文脈からすると指導力といった方が明確な気がするが、リーダーシップの方が何となく耳当りが良いのであったろうか。人によっては指導者の資質や能力、力量を含めて問いかける場合もあるから、このような文脈では勿論漠然とリーダーシップと書いた方が良いのかもしれない。

もう昔の事になるが、体育の先生から聞いたことがある。 2 、3 0 人ほどの合宿でも初めは皆ばらばらの行動をする。例えば、宿へ到着すると、脱いだ靴が雑然としている。靴をそろえろとは言わないで、皆が部屋に入ってから、そっと靴を揃えておく。翌朝、訓練合宿についての訓示をしたついでに、ところで今日は靴がきちんと揃っていて気持ちが良かった、と一言付け加える。これだけの事で、 2 , 3 日のうちに音頭を取る人が当番を決め靴を並べるようになり、生活全体のまとまりが良くなるそうである。これはほんの躾の一例に過ぎないが、このように、当初、問題の所在を明確にし、自発的に問題処理をする意識を育てると、それ以後は、集団行動時に生じるであろういろいろの問題を発見し、積極的に処理する能力が自然と身に着くようになり、リーダーシップの基礎が出来るとのことである。体育では集団で競技したり、訓練したりする事が多いからであろうか、先頭に立って行動する事、そのための指導力、説得力などの育成のために合宿訓練が有効であると体育の先生は強調していた。リーダーシップをとれる人材を養成する方法としてこれならば出来そうだと思う。

どのようにして指導者が育つか、或いは指導力をどのように発揮したかは大変興味のある問題であり、それに関した書も多い。中でももろもろの歴史小説はさまざまな形で名のある指導者を主人公としているので参考になる。司馬遼太郎の幕末5賢侯の描写などは各藩の最高権力者としてではあるが難局に当たっての対応が明確に区分されており、各候のとったリーダーシップが多分に彼らの性格によったものらしいのが面白い。

ギリシャの高校教科書では指導者を知力、説得力、自己抑制力、持続力、肉体的耐久力の5項目によって判断するとしている由である。性格や資質だけでなく、肉体的耐久力や持続力を含めて、指導者の具有すべき能力をより包括的に捉えているようで興味がある。各項目の評価点が高いほど優れた指導者と言えるわけである。この分類に従って、塩野七生氏は歴代ローマ皇帝に点数をつけ、興味深いことに、雄図むなしく凶刃に倒れたカエサルに最高の評価を与えている。

ローマ帝国の版図を広げ、各地に歴戦したカエサルは多くの異民族、異文化と接触し、ローマに住む人々、元老院議員よりも遥かに深く、拡大した帝国統治の姿を考慮していたに違いない。彼が指摘したように、人間ならば誰にでも現実のすべてが見えるわけではなく、多くの人は見たいと欲する現実しか見ないのである。指導者は多くの人を超えて、広く現実を直視しながら未来像を立ててゆかねばなるまいということであろうか。カルロス・ゴーン氏は、指導者として未来を予測するためには、自分になじみの無い立場、反対の立場に立って、どうすればよいかを考える能力を養うことが必要であると、これに共感能力の言葉を与えて強調している。出身がレバノンからブラジルへ移住した富裕階級であるといい、他のレバノン・シリヤ系の商才に長けたブラジル人家族と同様フランス語を話し、フランスに留学して異文化を体験し、更に日本文化に接触した氏ならではの表現であり、カエサルの言葉に通じるものがあるように思える。兎角論議の対象になる日本の企業文化についても、日本には規律、プロセス、顧客志向、即応性を重視する文化の強みがあり、力強い会社には更に強い家族的なきずなや力強いリーダーシップがあると評価していることは氏の共感能力による認識としなくてはなるまい。(世界経営者会議-05年11月22日日経朝刊)。世界中を飛び歩くスチューワデス(客室乗務員)から共感という言葉を聞いたことを思い出して、文化の異なる外国人に接する心構えの意味するところをあらためて知った次第である。独善に陥ることなく指導力を発揮できるよう知力を磨くことの重要性を痛感する。