健康老人

角田 稔

2007.11.1

今も昔も人間は変らぬ思いをもって生きているのではなかろうか。アレクサンダー大王は、市民に、壮年期には公平に、老齢期には適正な助言を行い、最後に悔いる事のない一生を送るべきである、と望んだという。2000年以上昔老齢期は現在よりはるかに若かったであろう。人生50年と言われた頃には老齢を表す還暦は目出度い隠居の歳であり、古希は稀なる老年を祝う言葉ではあった。現在は老齢期といっても比較にならぬほどに高齢者が多くなって、前期高齢者、高齢者、後期高齢者と区分されるほどに老齢期は幅が広い。80歳になってやっと後期高齢者の入り口である。80歳、傘寿ということで、初めて市招待の長寿を祝う会に顔を出した友人が市長から100歳以上のご老人が34人いらっしゃると聞かされて、傘寿などは幼老齢だと珍しい言葉を使って驚いていた。老人が悔いの無い一生を送れるかどうか、人々の助けを必要とする年代だけに、健康寿命が大きな問題である。私の周辺には老年を楽しむ素晴らしい健康老人が多く、何時も刺激を与えてくれる。

先日8歳年上の先輩から、貴君如何にお過ごしであるかと言う手紙を頂いた時に、80歳は高齢者の入り口に過ぎないことを痛感した。この先輩A氏は健康に恵まれ、大変元気である。日課は次のようであるという。朝5時起床して散歩約30分、休憩後趣味の域を超えた腕前でピアノを弾く。A氏は幼少の頃からピアノを習い上手かった。食事をして休憩、読書をし、書き物をする。

昼食後、外出する事も多いらしいが、規則正しい生活を守っている。また私より5歳年上の従姉は数年前から英会話の勉強を始め、外国人を見ると英語で話しかけ、今日は話が通じたと喜んでいる。楽器演奏にも熱心で、グループで発表会に出席したりする。毎朝屈伸運動をしていて実に体が柔らかく、立ち姿勢で悠々と手のひらが地に着くまで体を曲げる事が出来る。
先日、上手に老年を生きる同年輩の友人に会った。K君は住まいとは別の所に一室を借り,毎日出かけ、実験装置を組み立て、昔やった実験を繰り返している。L君は元の会社に通って、一隅で他人とは関係の無い自分の好きな仕事をさせてもらっている。M君はずっと続けている特許の英訳を定時に会社へ出かけて行い、午後は3時に切り上げて帰宅、身の回りのことを済ませ、酒を飲んで寝る。この友人3人に共通するのは会社に勤めていた頃と同様の生活リズムを保つよう努力している事ではなかろうか。何れの例も老齢になってこそ積極的に生きることの大事であることを教えてくれている。
老齢になればなるほど間違いなく変化への受容性が落ちてくる。現代の特徴の一つが急速な技術発展に促された激しい変化であるとすれば、老人特有の豊かな人生経験も色褪せてくる。不易流行と言う言葉がある。高齢者は不易なことに心を研ぎ澄まし、流行することには好奇心を失わないことが大切ではなかろうか。私は苦手な分野と思いながら、詩想を磨くために、70歳から俳句を、80歳から短歌を始めた。思うがままに言葉を紡ぎだし、思いを伝える事の難しさを味わいながら、詩歌のやり取りを楽しんだという昔の人々の心の豊かさを想像している。

参考;辻一郎、のばそう健康寿命(岩波アクティブ新書)