箸袋 日日好日と 杜鵑

角田 稔

2009.6.24

日日用いる箸の種類や材料はどれくらいあるのかと時々思うことがある。箸の持ち方、加わる力、摩擦力、その他の諸機能を研究したり、子供たちに持ち方や使い方を教えたりしている方々の会もあるようなので、使い慣れている箸についても面白い発見があるのかもしれない。また箸袋を楽しんでいる方々の集まりもある由で、これにも人をひきつける魅力があるもののようである。

近所の鉄板焼き料理店はビルの2階にあり、眺望がよい。季節には窓から満開の桜の花が美しい。ワインバーも用意され、上品な雰囲気の店内ではあるが、庶民的な値段の料理が数種類用意されているので脚が向く。

鉄板焼きと言えば、庶民的で忘れられないお好み焼き、もんじゃ焼きなどもこの部類に属する。目の前で野菜や肉が焼かれる音、微かに香る複雑な匂い、メリケン粉のこげる匂い、それに強烈に鼻をつくソースの焼ける匂い、料理をの仕上がりをじっと見ながら待つ楽しみ。上品な料理が皿盛で出てくる場合よりは遥かに躍動的である。シェフの腕裁きは驚くほどに面白いことがある。時にはこうるさく思える講釈も気にならない。鉄板焼きの面白さは目の前で料理が進行することではなかろうか。握り寿しも職人の包丁の使い方や握りの手捌きは見事である。

外国でも、大きな串刺しの焼肉を客席の前で薄く切り分け、皿に運ぶボーイの一寸得意げなポーズを見ることもある。ピザの皮を空中でくるくる回しながら広げる手法は一種見世物のようであり、ひと時食べ物である事すら忘れさせる。派手なパホーマンスで外国人を喜ばせ大成功したステーキ店のシェフの話を聞いたこともある。

 

行きつけの店では、シェフが広い鉄板の向こう側で、肉や魚、野菜などの材料を焼いてくれる。一組の客にシェフ一人が奉仕する。鉄板の上で材料を焼くという比較的簡単な料理法であるだけに、味よく焼き上げるのにはかなりの熟練を必要とするのではないか、ベテランシェフと新人シェフの差はあるのであろうか、男性シェフと女性シェフではなどと気になって、毎回シェフの手元を見詰めてしまう。若い女性シェフの美しい手元に見とれ過ぎてはいけないのは勿論のエチケット。店ではそれなりに材料を吟味しているはずであるが、焼き具合によって多少味に違いを感じることがある。シェフは味見をする機会がないだけに気になるところではある。ハンバーグなどでも処理が悪いと、折角の肉汁が流れ出してぱさぱさになってしまうからである。鉄板の高温度部は何度くらいの高さであろうか、これと低温度部を如何に上手に使うかが決め手であるように思える。鉄板焼きは見るのが楽しい。

この店の箸袋にはさりげなく書体の字句が印刷されている。私の箸袋には、日々好日とあった。武者小路実篤の色紙で見たことがあり、日々是好日とあったと思う。実篤の澄んだ気持ちを伝えて有名でもありよく知っている。その他に、数種類はある。創業店主が禅に傾倒した由で、考えさせる字句が見える。同伴者2人の箸袋には、それぞれ、白鳥蘆花入(白鳥蘆花に入る)、捻華微笑(ねんげ みしょう)があった。これなどは読むのに苦労し、簡単な解説だけでは、その深い意味までは判らぬほどに深そうである。

じっと鉄板焼きの仕上がりを待ちながら、何となく親しんだ、日々好日の字に眼を移し、その境地を思った。