諏訪湖の畔

角田 稔

2005.10.22

諏訪湖へは幾度か訪れたことがある。仲間の先生方とワカサギ釣りに出かけた冬の日は風も少なく、素人目には快適な釣り日和に思えたが、魚が見えなかった。湖面が温められたためにワカサギが湖底に避難しているという。十分に糸を伸ばし竿を揺らしてみると、確かに湖底に潜みながら、餌と遊ぶワカサギのかすかな感触が手の先に伝わってくる。琵琶湖で小さい魚を釣っていた少年時代を思い出した。 1 時間ほど頑張ったが、結局、私が 5 匹上げたのが最高で、散々であった。

もう数年前のことになるが、夫婦 2 人で骨休めに出かけたのは暑い真夏の頃であった。JTBに勤める娘が湖畔の温泉宿 ぬの半 を確保してくれたからである。古めかしい名前の示すように、宿は昔からこの地にあり、湖に面した素晴らしい場所を占めていた。 2 階の部屋からは湖上に打ち上げられる花火が真正面に見えた。温泉客を楽しませるために毎夜小規模の花火を上げるのだという。湖面に映る光の彩の変化は見飽きる事がない。大々的な諏訪湖花火大会の日は、この部屋は特別席になって大変なんですよと宿の人が言った。その花火大会を見に出かけた友人の話によると、ぬの半の玄関前駐車場には席が用意されて、身動きできないほどの人出であったとのことである。   

湖辺を散策し、舟に乗って、勢いよく吹き上げる間欠泉を眺めた。温泉宿に泊まると、妻は按摩を頼むことが多い。私は体の凝らない性質なので、興味はなかったが、この夜、珍しく試してみようかと思ったのは、足裏マッサージなる看板に好奇心をくすぐられたせいである。娘たちから話を聞いていたせいかもしれない。頼んで部屋に来てもらった。

ひっそりと扉を叩いて現れたのは、 30 歳代の和服姿のよく似合う美しい女性マッサージ師で、この宿と契約して施術室に通っているとのことであった 。 足裏の指圧にはどのような技がるのか分からなかったが、柔らかい指先や手の感触が心地よかった。暫くの間は何かと世間話をしていたが、眠りを誘うつぼでもあるのであろうか、そのうちに眠ってしまった。もう直ぐ終わりますからと声を掛けられて目覚めたとたんに、彼女が舞台で観る波野九里子という女優にそっくりである事に気がついた。顔や姿だけでなく、声やしぐさまでも似ているように思えた。後ほど妻も同じような事を言っていた。小1時間ほど足裏を揉んでもらっただけで、体全体が楽になっていた。温泉浴以上の効果がありそうにも思えた。月に 2 , 3 度やってみると、きっと病みつきになりますよ、と彼女は自信たっぷりに言った。

かくして、諏訪湖畔の温泉宿 ぬの半 の記憶は足裏指圧に占有されてしまった感がある。今でこそ各種マッサージ店が林立しているが、当時はやっと、足裏指圧が英国式レフレクソロジと称してOLやサラリーマンの間で話題になりだしたばかりであった。都内で開業している2,3の店に、時々利用しているという娘に連れていってもらったが、どの店も若くてよく訓練された美女が揃っているのに驚いた。ストレスや疲労で痛めつけられている人々のオアシスのような雰囲気があった。選り抜かれたような美女の妙技に心奪われながらも、何となく閑人には場違いにも思われて、専ら自分で足裏の指圧をしているこの頃である。