四日市

とまりぎ

2005.9.6

夏の暑いときに、三重県四日市の商品技術訓練所にいた。新入社員研修である。およそ一週間という短い間のことでもあるし、知った顔の連中と一緒だから気楽だった。現在の幹事も酒豪氏もそのなかにいた。

一日の日課を終え、五人ほどで夕暮れの外へ出る。近くにそう大きくない川がある。堤防を越えて中へ入ると、静かな空間がある。ここで酒豪氏は持ってきていたハイライト一箱を出す。それを一本づつもらってマッチの火をつける。田野井さんは手をつけない。「煙を肺に入れない」などと言うのは酒豪氏だ。じつは、全員煙草は初めてだったのだ。以後品種はいくつか変わったが、酒豪氏の喫煙量は増え現在に至っている。田野井さんはずっと吸わなかった。深澤さんもそのようだ。幹事は40歳ころで止めたようだ。

別の日に暗くなった町を歩いていると、"氷"の文字が目に入った。中へ入る。品書きに"宇治金時"とあるのを酒豪氏が見つけ、これを頼む。最近では東京でも目にするが、そのときはどんなものかまったく見当がつかない。出てきたのを見て、関西圏の食文化だと知った。宇治の産なのだろう"抹茶"と、"小豆あん"がカキ氷に入っている。蒸し暑い夜のことであったからか初めて口にしたものだったからか、これは実に美味であった。

そのときは気が付かなかったのだが、幹事はその後の温泉の旅を続けていると、酒席のあとで甘味を頼むことが多く、実は大変甘党だということがわかったのだが、それはしばらく時間が経過してからのことだったように思う。

長いようで短い一週間を終え東京へ戻ると、寝食を共にした仲間というのは親密になるようで、なにかと集まるようになったのだが、とくに全員が山登りに向けて行動するようになるまで、そう長い時間はかからなかった。その集合場所、新宿駅南口改札には木作りの"てすり"があって、それへ上って腰掛けたのが"とまりぎ"命名の由来である。

手始めは丹沢から。あるときはヤビツ峠から表尾根を昔の重いテントを背負って登る。またあるときは、丹沢湖ができる前であったから谷底の道をバスで、終点の中川温泉から。さらに裏丹沢から入ろうというので、橋本から三ヶ木でバスを乗り継いで、終点の東野から神ノ川の小屋まではゆるい上りのとても長い道だ。

ユーシン沢、桧洞丸、犬越路、大室山といったあたりがとくに記憶に残る。その中心にある桧洞丸には特別の思いがある。霧の中でカモシカの群れがすぐ脇を走り抜けていったり、土砂降りの雨の中を駆け下って、小さな炭焼き小屋のなかにテントを張ったり、トリカブトの群生に出会ったり。また、石油が染みたくさい飯盒めしも忘れられない。

山好きの仲間だから、いずれ時間が経てば一緒に行動するようになったであろうが、あの四日市の一週間がそれを早めさせたのかもしれない。最近の温泉の旅へと継続していることを思うと、四日市は良いきっかけをつくってくれたものである。

昨年"とまりぎ"の先生三回忌が八王子であった。存命仲間のうちには監査役として残った人もいるが、概ね順次退職していく。そんな折に頭にうかんだ記憶の断片である。