笹子峠

とまりぎ

2005.12.29

11月のはじめ、いつものように高尾駅より鈍行にのる。また3人となってしまった。勝沼ぶどう郷駅におりる。澄みわたった空のもとホームからの眺めはひろびろとしておりすがすがしい。しばらくホームですごしたあと"ぶどうの丘"をめざして歩く。ぶどうの丘についてすぐ"タート・バン(利き酒杯)"というものを買って首からさげ地下貯蔵庫へ。いろいろなワインが好きなだけ試飲できる。結構な混みようである。ちょうど新酒の時期でもあった。つぎつぎと飲みくらべ気に入ったワインが買えるしくみだ。日本酒党の酒豪氏とめっぽう酒によわい幹事はそこそこできりあげたが会長は他のグループと話とワインがすすんで終わる気配がない。外にでると酔いも手伝いめっぽう気持ちがよい。結婚式のカップルがおおぜいにかこまれて華やいでいた。ひと眠りしていると会長があらわれ、ひと駅先の塩山温泉まであるこうという。足もとをみるとおぼつかない。丘からはるか見渡すさきにこんもりした山が見え、あれが塩の山といってそこの手前だという。まえに歩いたことがあるという。(会長の親戚がこの勝沼で葡萄園をやっているそうだ) 丘をくだり葡萄畑のあいだを縫いあるくことおよそ2時間、街なかに入ったころには暗くなりかけていた。あとわずかで完歩という時におりよく走ってきたタクシーに手をあげたのだが、乗ってほっとしたものだ。やどはふるいが元気のよい気のおけないおじいさんがそれをカバーしてくれた。フロントに柿が盛られており売りものかと訊いたらあげものだとすかさずかえってきた。部屋のお茶請けが柿とははじめてだ。料理は豪華ではないが味つけはなかなかのものであった。温泉も肌がつるつるとし、まずまずと感じた。浴槽も洗い場も予想外に広くゆっくりはいることができた。泉質はアルカリ泉、効能は貧血諸病、痔疾、神経痛、胃腸病各種リウマチ。

きょうは甲斐大和駅から 笹子峠を越える予定であるが 、朝からくもり空で"ごごから雨"との予報である。やどの近くの向嶽寺にたちよってから塩山駅へ。この駅はいぜん、とまりぎの旅行で裂石温泉と天科温泉とで二度おりている。甲斐大和駅は二つ目でここもかつて嵯峨塩鉱泉 にきている。峠へのみちは旧道化しており車が少なくてたすかる 。まずは駒飼宿(こまかいしゅく)をめざす。だんだんのぼりがきつくなる。駒飼宿とはいかにも街道の宿場らしい。わらぶき屋根がトタンでおおわれていたり家が新しかったりで雰囲気がいまひとつなのはやむをえまい。 案内の看板には往時のようすが写真で伝えられている。 芭蕉句碑「秣(まぐさ)負う人を栞の夏野哉」をすぎ、橋をわたってすすむうちに甲州街道峠道の旧道案内があったがそのまま行く。甘酒茶屋跡をすぎてもうそろそろ峠かなというあたりにあずまやがあって昼やすみにした。いまにもふりそうで、やすんでいるとうすらさむい。峠のトンネルがみえたところで先ほどの旧道があり今度は入りこむ。すぐ笹子峠についたが眺めはない。笹子峠という名前になにやら惹かれるものがあったのだが着いてみると拍子抜けの感。くだるとすぐ舗装路にでる。そこから笹子隧道の入り口をみると煉瓦つくりのモダンなものであった。さらにすこしくだって笹子峠自然遊歩道にはいると道はうすぐらいが舗装路よりよほどおちつく。出陣兵士が矢を射立てて戦勝を祈願したと伝えられる"矢立の杉"があった。杉はうろになっておりなかにはいりこんで見上げると空にぬけていた。何代目の杉なのであろうか。遊歩道を出るあたりでいよいよ雨となった。傘をさしそれでもなごりの紅葉をみながら葛(つづら)折り のみち をひたすらくだった。雨はほんぶり。国道沿いの廃業となった笹子鉱泉をすぎると笹子駅だ。駅をいったんとおりすぎ名物・笹子餅を買い 、笹一酒造でワンカップをしいれて駅にもどった。高尾から京王線にのりかえ八幡山におりて"いつもの店"でしあげの乾杯をし、わかれた。 久々によく歩いたので満たされた気分であった。