(番外篇)小石川植物園

とまりぎ

2006.5.24

新潟へ移住した人がそろそろ東京禁断症状になってはいないかと連絡した仲間がいて、まさにそうだとの返事で決まった。酒の席によさそうな店を思い出して、場所が茗荷谷であることを知らせると、小石川植物園へ寄ってから行こうということになった。

5月の土曜日、6人。朝からの雨で、参加者が減るのではないかと心配していたが、定刻の午後2時には白山駅に新潟だけでなく木曽の住人も集って予約人数より2名多くなった。地元文京区在住の人の案内で小石川植物園へ入る。柴田記念館とシダ園を最初に、メンデルのぶどうの木、ニュートンのリンゴの木、小石川養生所の井戸、ハンカチの木、ユリの木の花などを見ながら園内の高所を見て廻ったあと、急坂を下り日本庭園へ出た。
 裏門から研究博物館へ入る。動物、鉱物の標本のほかに、建築物の模型、研究で使った機器類の展示もあって、内容が多岐にわたっている。博物館へ入るために植物園の半分を残して、出口だけの裏門から出ることになったのは少々残念であるが、気温も低い日であったので、ここでしばらく雨を避けていた時間は貴重であったかもしれない。
 いよいよ茗荷谷の店へ向うことにした。店へ電話を入れてみるがまだ開いてないようで、誰も出ない。そこで女将が見せてくれるように交渉してくれた、通り道の銅(あかがね)御殿を外から見たあと、茗荷谷駅で雨宿りの時間とした。

銅御殿は重要文化財になって、5年前までは使っていた部分もあるようだが、普段は住まいとして使っていないとのことで、状態を維持するためだけに開け閉めしているようだ。材料も技術も超一流の建築物である。
 建築から百年経ったところで、屋根と壁の銅版を変えたとのことだが、途中に関東大震災と東京大空襲があったことを考えると、本体がかなり丈夫にできているのは確かだが、これからさらに維持していくだけでもたいへんな労力が想像される。雨のこととて、外が見えるように窓を開けてくれたが、湿気が入るので短時間で締め切る。
 目的の店へ戻って、女将の料理と酒をいただく。店内は10名ほどが入れる日本的な造りになっている。日本酒は立山に料理は季節の山菜のあと、鰹の刺身、鶉の串焼きを目の前の囲炉裏で焼く。つぎはウドのホイル焼きをこれも各自焼いて味噌で。
 さらに味噌仕立ての葱と鮪の鍋。これもなかなか味わうことのできない珍品である。かなり長い時間を経過し、隣家のこれも同じ経営の洋酒の店へ移動し最後の一杯と庭の景色を味わい、帰路についた。

新潟からは掘り出したばかりの雪下人参を持ってきてくれて、貴重な品を各自土産にした。店は友人に二年ほど前一回連れて行ってもらったことがあったきりのところで、東京禁断症状から始まったことではあるが、偶然が重なって、全体を通してめったにない充実した内容の一日であった。