足尾銅山

とまりぎ

2013.11.20

5月中旬 5人は大宮駅から小山、栃木と乗り継ぎ、桐生駅でわたらせ渓谷鉄道に乗った。1輌編成でのんびりとした雰囲気に5人は嬉しそうであった。わたらせ渓谷鉄道は桐生(きりゅう)駅と間藤(まとう)駅間の44.1kmを往復する。ほぼ中間の神戸(ごうど)駅では上下の車両すれ違いのためしばらく停車した。その間に駅員による土産物などの車内販売があった。ふたたび発車してすぐ長い草木トンネル(5,242m)を抜け新緑の渓谷沿いを進む。終点二つ手前の通洞(つうどう)駅に降りた。
 下り道を15分ほど歩いてテーマパーク足尾銅山観光に着く。天気もよく暑かった。足尾銅山は江戸時代から採掘され1973年(昭和48年)に閉山となった。坑道の総延長は1,200km。ほぼ東京と博多間に相当する。トロッコに乗って通洞坑まで、坑口を少し入った所で降りる。そこから坑道内を700m歩くコースだ。とちゅう江戸の手掘りから、明治、大正、昭和へと採掘の変遷が展示されていたが、いずれも過酷な作業環境がうかがえた。コースの終わりごろ足尾銅山の歴史を映像で見る。坑道を出ると光がまぶしい。鋳銭座という建物があり、この足尾で作られた貨幣“寛永通宝”を作る様子が人形を使って再現されていた。結構疲れ重い足取りで登り坂を通洞駅にもどった。

足尾銅山はあまたの人々の苦難を伴いながら、その生活を支え、また日本の発展に大いに寄与したことだろう。鉱山というと公害問題がつきまとう、先の東日本大震災で、渡良瀬川下流に基準値を超える鉛が検出されたとのニュースがあった。世界遺産への登録を目指しているようである。

通洞駅には宿の車が待っていた。庚申(こうしん)山川沿いに銀山平を目指して山道を登る。山道の両側に鉱員社宅跡などが散見され規模の大きさが垣間見えた。国民宿舎“かじか荘”に着く。ここは百名山 皇海(すかい)山(2,144m)の表登山口でもある。足尾温泉は、1971年(昭和46年)古河鉱業が探鉱中に泉脈が発見され、1977年(昭和52年)より“かじか荘”に給湯されていた。その後足尾町が新泉源の開発に着手し銀山平公園内に湧出を見、庚申山に因み「庚申の湯」と命名され、1996年(平成8年)より給湯開始されたとのこと。“かじか荘”には谷の断崖に露天風呂があり眺め抜群で新緑が迫る。湯温もほどよくゆっくりと入ることができた。温泉は“美肌の湯”として愛されてきたとのこと。微褐色透明。泉質はアルカリ性単純泉(PH9.5)。効能は神経痛、筋肉痛、五十肩等。実はあまり期待していなかったのだがいい温泉であった。

翌日、ふたたびわたらせ渓谷鉄道で神戸駅に戻り、バスで草木湖の湖畔にある富弘美術館に行き星野富弘さんのやさしくこころ和む水彩の詩画を観賞し帰途についた。
 6月下旬、そのときの仲間のひとりが急逝した。